愛犬ボスの一周忌
9月21日。
早いものでボスが亡くなり、一年になりました。
ボスが我が家へやってきたのは2003年。
ボスを迎えた日は
親から引き離された不安と
これから過ごすことになる、知らない家での生活に
ストレスを感じ、お店の裏でキャンキャンと鳴き叫び
仕事中も一日、様子を見ながら仕事をして大変だったのを覚えています。
当時は子供たちも小さくて
一緒に公園に連れて行っては走り回って遊んだり
散歩に出て、いつもと違うルートを歩けば
不穏な空気を感じ必死に自宅へリターンしようとする。
そんな姿も愛らしくいじらしかった。
留守をして、お出かけから帰って来れば飛びかかって
僕たちに駆け寄って身体をいっぱいに喜びを表現してくれた。
子供たちが小学校、中学校、高校、大学…
そして社会人へと。
僕たちと共に彼はいつもそばにいた。
それは、当たり前のことでいつまでもずっと続くと思っていた。
やがて時は過ぎ、2020年9月19日。
フラフラになって歩くボス。
ヨロヨロとよろめき倒れ込み失禁していた。
それでも懸命に立とうと震える足を
まさに奮い立たせる姿は、今でも鮮明に覚えている。
なんとか座ることはできるものの
後ろ足は遂に立たなくなって、弱々しくなった鳴き声を聞くとなんとも言えない気持ちになった。
嫁さんと2人交代で様子を見て
これから、もしかしたら寝たきりになってしまうのかな…なんて話していた。
そして2020年9月21日
ボスの誕生日であり命日になった日だ。
介護用品とオムツなど買い出しに行って帰ってきた
まさにその時だった…
僕たちの帰りを見届けると
倒れ込み、何かを訴えかけてくるような
悲鳴のような弱々しい叫び声を2回上げた後
彼は眠るように天国へと旅立ちました。
まるで、僕たちが帰ってくるのを待っていたかのように。
そして、僕たちの休日で自分の誕生日であるこの日を選んだかのように。
倒れ込んだ彼を抱きかかえた僕の腕からは力が抜け
大粒の涙が溢れ嗚咽していた。
それは、今でも彼のことを思うと全く変わらない気持ちであることに間違いない。
生物として人間と犬は違う生き物。
しかし、生き物の面倒を見る大変さ。
そして辛い時もそっと寄り添い、無垢な仕草と優しさで心を癒してくれた。
ボスはあまりにも多くのことを教えてくれた。
動物は人間に"優しさ"を気づかせるためにいるのかもしれない。
あの顔を思い出すと、いつでもココロに温かさが蘇る。
ああすればよかった、こうすればよかった…
振り返ることは沢山あります。
それでも、我々家族がボスの話をする時は
みんな最後は笑顔になる。
悲しいこと、可哀想に思ったこと。
それよりも楽しかったこと、幸せだったことの方が
遥かに上回ってしまうようです。
死生感は人それぞれで
ありがたくも、今は自身も命の危機に直面するという事が無いため、考えが足りない所が多々あります。
それでもボスのように家族の一員として
幸せな思い出に加わってくれるような
そんなペットたちが一匹でも増えてくれたら…
そんな風に願っています。
(埋葬したあの日と同じように秋晴れの日にお参りできました。)
さぁ、素敵な思い出に助けられたら
また、明日からも頑張ろう。
P.S
ボス、あちらの世界は楽しいかい?
寂しくなったらいつでも我が家へ帰っておいで。
いつまでも大好きよ(⌯˃̶᷄ ﹏ ˂̶᷄⌯)