Reve ライフBlog

美容師目線で感じた事や日々の出来事 家族のことやお店のことなど店主である SHINGOが執筆しています。

ボス最後の置き土産〜生命の意味を考える〜

 今日のテーマは重いです。

 

なんせテーマが”生命”ですから…

 

 

 

 

とかく人は重たい事柄や話には

 

目をそらしがちですけど生きてる以上

 

決して逃れることはできないテーマであり

 

避けては通れないことも事実です。

 

 

 

避ければ避けるほど生命の終わりに直面した時

 

どうしようもなくなりそうなので

 

あえて触れていかなくてはいけない話題でもあると思います。

 

 

 

そして書いてる僕も”ボス”のことを考えながら書いているので

 

とても胸が苦しいです...

 

 

 

 それでも読んでも書いても楽しくもない

 

こんな自虐的な感情を記事にするのは

 

自分自身が”ボス”を亡くして約3週間たった今

 

どのような感情だったのかを書き残しておきたいからです。

 

 

ペットロスから立ち直るにはどのくらい時間がかかるのか


自分でも覚えておきたいんです。


この先も動物を飼う以上、同じ思いをするに違いないな…と。

 

 

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さて本題に。

 

「ペットを飼う」と聞くととても

 

ポップなイメージでなんとも心がはずむ言葉で良いですよね。

 

僕もとても好きな言葉です。

 

 

 

最近では「ペット」とは呼ばず

 

先進諸国では「コンパニオン・アニマル」

 

とも呼ばれています。

 

 

 

動物は人間にとって癒しを与えてくれ

 

喜びや悲しみを共に分かち合い

 

辛い時、寂しい時にはそっと寄り添ってくれる

 

素晴らしい家族であり、友でもあります。

 

 

 

 

 

 

ただし動物を飼うには責任がついて回ることも忘れてはいけないんです。

 

 

 

動物を飼うということは

 

「命」を預かるということです。

 

犬や猫ならおおよそ15年。

 

その子の命を預かり、しっかりと面倒を見て行かなくてはいけません。

 

 

 

 

言葉が喋れない彼等は人間が決めた

 

ルールの中で生きていかなくてはならず

 

決して自由ではないんです。

 

 

そして、健康で安全に生活していくため

 

環境を整えてあげれるのは飼い主である家族だけです。

 

 

動物は時として人間よりも手がかかり

 

お世話も大変です。

 

人間なら言葉で言えば通じることも

 

動物相手には通じないこともたくさんあります。

 

 

 

 

病気をすれば、喋れない彼等に変わり

 

表情や態度からこちらが読み取ってあげる

 

判断力がいるし

 

病院にだって連れて行ってあげないといけないし

 

ぐったりしてる時には心配と不安でドキドキもします。

 

そんな時、命を預かっているという実感を覚えるのも確かです。

 

 

 

 

人間の子供も同じじゃないですか?

 

子供が熱を出せば気が気じゃないでしょう?

 

急患の病院に連れていく時にはドキドキして

 

体が震えることだってあるでしょう。

 

 

 

 夫がいない夜に病気の子供を一人で見る

 

不安。

 

妻が留守の時に限って具合が悪くなる

 

子供を見る不安。

 

一人きりで救急病院に子供を連れていく不安って言ったら尋常じゃないでしょう?

 

僕も何度か経験があるけど、毎回その役目を果たしてる”母親”ってすごいです。

 

 

 

 

 

そう、全く同じなんです。

 

命を預かるって軽いもんじゃないです。

 

 

 

 

それでも動物たちは命に対し、とても前向きです。

 

どうやったら生きていけるか?

 

病気を治すにはどうすればよいか?

 

本能で分かってるんです。

 

 

 

そしてそのために何をすれば良いか?

 

それも充分にわかっています。

 

恐らく人間が動物たちにしてやれることは些細な支えでしかないと思います。

 

生きていくことに必死な彼等を見てると

 

人間の愚かさにも多々気づかされることもあります。

 

 

 

生命に対してマイナスな感情を抱える

 

生き物って人間だけじゃないかと思うことすらあります。

 

動物たちは生に対して必死で前向きです。

 

 

 

どうやったら生きていけるか?

 

今日生き延びるにはどうすればいいか?

 

・食べる

 

・飲む

 

・仲間(家族)と共に外敵から身を守る

 

”生きる”ためのことしか頭にないんだと思います。

 

 

 

先日17年間連れ添った

 

ミニチュアダックスフンドの愛犬"ボス"を亡くしました。

 

 

 

 

それはもう、悲しくて、寂しくて

 

17年間という期間の重みをズッシリと感じました。

 

 

 

ボスは僕たちに大きな喜びを与えてくれ、とっても癒してくれました。

 

 

 

家族の間に立ち、仲を取り持ってくれ

 

いつでもそっと寄り添ってくれました。

 

わがままもいっぱいいってくれました。

 

世話もいっぱいさせてくれました。

 

僕のわがままもいっぱい聞いてもらいました。

 

 

 

その分、お別れの時には悲しみや辛さもしっかりと忘れずに与えていってくれました。

 

 

"ボス"はその生涯をかけて、生きる事と死ぬ事

の意味を問いかけているように思うんです。

 

 

僕はこの問いかけに、"ボス"を亡くして初めて気づかされました。

 

 

これは、"ボス"が残していった

 

決して小さくない課題だと思っています。

 

 

 

ボスは自分の生涯をかけて

 

身を上げて僕たちに教えようとしてくれた

 

最後の置き土産でもあるようにおもいます。

 

 

今まで幾度となく動物を飼い

 

そして最期の別れを経験しました。

 

 

 

人間にしろ動物にしろ、小さな頃は

 

もっと上手に最期を送り出し別れられたような

 

気がします。

 

 

 

歳を重ね、なんだか別れが下手になりました。

 

それは「命」というものの価値と重さが分かったからなのかもしれません…

 

 

でも悲しみを含め、このように様々なことを考え、感じさせてくれた"ボス"には感謝しかありません。

 

 

この悲しみを乗り越え、立ち直るところまでいって、初めて”ボス”と共に暮らしたと言えるのだと思います。

 

 

 

それでも、そのような感情をなんど重ねても

僕は動物が大好きです。

 

 

いずれはまた、共に暮らせる

「コンパニオン・アニマル」と呼べる存在と

共に生きていきたいです。

 

 

 

あの子(ボス)の代わりはいないけど...

 

 

 


 

 愛犬ボスの記録記事はこちらです。

 

hairboxreve.hatenablog.com

 

 

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